京都府宮津市での暮らしと自然の息吹を、器に込めて
『AIKA CRAFT』秋鹿陽一さん、恵美子さん夫婦
京都府北部にある宮津市は、魚介類が豊かに育つ海や、参勤交代で使われていた石畳の古道が残る山など、昔からの古い町並みが残る海の城下町です。陶芸家の秋鹿陽一(あいか・よういち)さんと秋鹿恵美子(あいか・えみこ)さんご夫妻は、2017年に宮津に移り住み『AIKA CRAFT』という屋号で活動しはじめました。
宮津には、もともと恵美子さんの父方のおばあさまが住んでいた縁で、訪れていたというおふたり。移り住んでからは『京都宮津【暮らしの】器』というコンセプトを立ち上げ、日々の暮らしのなかで触れた風景や情景を表現しています。
大地に育つ植物のようなみずみずしさと生命力を感じさせる器は、陽一さんの作品。
ぬくもりがありつつも日常に静かに佇むような器は、恵美子さんの作品。
それぞれ作風は違いますが、暮らしの中で出会う宮津の町から感じたインスピレーションや、身近にある素材などを採れた取り入れながら、宮津の暮らしから感じる柔らかでやさしい風合いの器を制作されています。
ソラミドごはんでは、『AIKA CRAFT』さんの器をお取り扱いしています。今回はおふたりの、ものづくりへの想いや器へのこだわりについて、伺いました。
「陶芸」と出会い、夫婦の人生が交わる
陽一さんと恵美子さんは、日本の職人に継承されてきた伝統工芸の技を学ぶことができる京都伝統工芸専門学校で出会いました。卒業後は、お二人とも滋賀県の信楽焼の窯元でそれぞれ器作りを学び、そして惠美子さんは兵庫県のご実家へ帰り独立。しばらくしておふたりは結婚しました。
その後大阪に移り、陽一さんは会社員として働き、恵美子さんは子育てが生活の中心に。それでも夫婦展を1年に1回のペースで実施し、作家として活動します。そうして名字の「秋鹿」から『AIKA CRAFT』という屋号を名付けたのは、2017年のこと。宮津市に移り住む直前だったそうです。
そもそも、おふたりが陶芸に興味を持ったきっかけはなんだったのでしょうか?
「子どもの頃からものづくりに興味がありました。進路に悩んでいたら、高校の美術の先生が『京都に工芸の学校があるよ』と資料を見せてくれて。そこで、今は母校となった京都伝統工芸専門学校のことを知りました」(陽一さん)
さっそく資料を見て、進学を決めた陽一さん。木工や石工芸など、伝統工芸を広く学んだなかで陶芸を選んだのは「道具を使って作業するよりも、自分の手で形づくる感覚がしっくりくる」と感じたからでした。
「子どもの頃から、砂場で手のひらを使って砂をいろいろな形にする感覚が心地よかったんです」(陽一さん)
一方、恵美子さんは、小学校の社会科の授業で伝統工芸を扱った映像を見たことがきっかけで陶芸に興味を持ったと言います。
「全国各地の伝統工芸が紹介されている映像でした。私は当時しゃべることが得意ではない子どもで、職人のおじいさんが黙々とものを作っている姿がかっこいいと思ったんです。昔からの技術と伝統をつないでいるという点も素敵でした。専門学校では私も一通り学んだのですが、毎日使われるものを作りたくて、陶芸をやることに決めました」(恵美子さん)
毎日使ってもらうことで、作品を通して人と会話ができる────
その姿勢は、卒業後に信楽焼を勉強したことにもつながります。
信楽焼は滋賀県の伝統工芸で、粗い土で作られる焼き物です。温かみを感じさせる風合いがあり、釉薬をかけずに焼いた後の素地の質感や灰による焦げが特徴です。そこに「わび・さび」を見出した茶人の千利休は、茶器として使ったという歴史があります。
「昔から日用品として使われていた器で、信楽焼のザクザクとした質感と飾りけのない素朴な感じがとても好きでした。昔は釉薬をかけられていなかったのですが、今は釉薬が使われることもあります。伝統工芸でありながら、自由に作れるのも楽しいな、と思うんです」(恵美子さん)
宮津の暮らしを器に込める『AIKA CRAFT』の誕生
現在おふたりが住んでいる宮津は、恵美子さんが子どもの頃から父方のおばあさんを訪ねてお盆とお正月に訪れていたそう。
「海も山もあって田んぼもあり、京都っぽい町家が並ぶけれどもなんだか素朴で。当時から、とても、とても好きな場所でした」(恵美子さん)
結婚後は陽一さんも連れ立って訪れ、海で魚を釣ったりしながら街で過ごすように。「いつかは宮津で焼き物をやりたい」とふたりで話すようになるのは、ごく自然なことでした。
「大阪では住宅地に住んでいて、作業場も狭かったので、作陶には向いていませんでした。宮津では魚釣りを楽しむことができ、釣った魚もおいしくて、近くの山から材料を取ってくることもできる。こちらの方がものづくりをする環境に良いかもしれないと考えるようになりました。田舎暮らしは、いつかしたかったので、この機に引っ越さない?と僕のほうから言い出したんですよ」(陽一さん)
宮津に来たことで、陶芸の作風も固まったと言います。
「大阪にいたときは、あれもこれも作って……とブレがあったように思います。『京都宮津【暮らし】の器』というコンセプトには、ここの暮らしを器に込める、という意味があって。やっぱり実際に住んだからこそ出てきたのだと思います」(陽一さん)
『AIKA CRAFT』の器に共通する独特な質感は、おふたりが市内で取ってきた土を釉薬に混ぜ込んでいることで作られます。手に持ったときに、やわらかく肌に馴染む感覚があるのは、この釉薬によるもの。
「自分たちで取ってきた市内の土を、釉薬に混ぜ込んでいます。何も混ぜない釉薬だとツヤが出ますが、土を釉薬に混ぜることで溶けにくくなり、器の表面に表情が出るんです。もちろん、高い温度で焼いたらつるつるした質感になるし、低すぎると溶けが甘くてざらざらになってしまうので、焼成温度の加減が大事です。器の素地と釉薬との相性によって、風合いも変わるので、釉薬と土と温度を考えながら制作します。まだまだ勉強中です」(恵美子さん)
混ぜた土の成分で色味が変化することもあり、組み合わせと工夫のポイントは、挙げるとキリがありません。ものづくりは、本当に一生かけて突き詰め続けるものなのでしょう。
こうして、たくさんの工程と試行錯誤を経て美恵子さんが作る器には、ご自身が子どもの頃から好きだった「海と山があって田んぼもあり、京都ならではの町家が並ぶけれども、どこか素朴さを感じる宮津」の風景が写しとられています。宮津と日常を大切にするからこそ、静かな佇まいでぬくもりのある器が、その手から生み出されているのだと感じます。
自然と対峙することで感動が生まれる
陽一さんが器に込めるのは、植物への驚嘆です。原点は、宮津に移り住んできた当初にまで遡ります。陽一さんは地域おこし協力隊として、農業に携わっていました。地域を手伝いながらオリーブの木の栽培にも挑戦したことで芽生えた「農業とものづくりを融合させたい」という想いが、制作の幹になっていると言います。
「30歳代半ばまで自然より人が多い場所に住んでいて、スーパーに並んだ野菜や調理された後の野菜の姿しか見たことがありませんでした。なので、宮津に来て農業に携わっていると、いろいろな発見があるんです。この野菜はこんな形の種から育つのか、こんな花を咲かせるのか、こんなふうに育つのか、と季節ごとに覚える感動を、なんとか器に写したいと考えました」(陽一さん)
こうして誕生したのが、ソラミドごはんで取り扱いする『茶碗』(白米色/玄米色)です。
やわらかな風合いの器の側面には、内側と外側それぞれに、稲穂が象られています。実はこの稲穂、実物を素地に押し付けてから着彩しているそうです。
「食卓で食べているお米は、太陽に照らされ田畑で風に揺られていた穂のひとつだったことを感じてほしいです」(恵美子さん)
「生きものの生命力は本当にすごいと思います。強い作物だったら、ひと冬越してまた芽を出すんですよ。この感覚は、宮津に来たからこそ味わえることですね」(陽一さん)
陽一さんのお米を育てたのと同じ手から生まれたこの器は、畑と食卓をつなぎ、自然に囲まれた暮らしや、土から食べ物が育つことの豊かさを、私達に伝えてくれるのです。
『AIKA CRAFT』さんは現在、お椀やお皿などさまざまな形の約60種類を作っています。色味は「消し炭」「朝霧」「水面」「雨空」「侘び茶」の5種類。今後も、大きさや形、色味のバリエーションを増やしたり、お米を焼いた灰といった素材を使ったりもして、広く挑戦したいと考えているそうです。
田畑では麦の栽培もやってみたいのだとか。宮津の土とともに暮らしを深めていくおふたりの手から、今後どのような器が生まれるのか、とても楽しみです。
取材・執筆:松本麻美
編集:貝津美里
写真:AIKA CRAFT(提供)|撮影:飯塚麻美