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多様性から“全部おいしい”の時代へ。そして未来の日本で白ごはんはどうなる?│主食の歴史をたどる 後編


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「日本人はお米が大好き」
日本に暮らす人なら、きっと誰もがそう思っていますよね。
じゃあ、日本人はいつからお米が好きなんだろう?
今おいしく食べているお米って、いつから食べていて、いつからあったのかな?
日本人だけがお米を大好きなの?
…あれれ?改めて考えてみると知らないことだらけかも?

農学博士の佐藤洋一郎先生に教わるごはんの歴史。稲作の歴史に続いて教えてくれるのは、日本のお米の種類や味わいについてです。そして日本の米づくりがどうなっていくべきなのか、先生の考えも合わせて聞かせていただきました。

<前編はこちら>

佐藤洋一郎 先生

京都大学農学部農学科卒。農学博士。
京都府立大学 和食文化研究センター客員教授
ふじのくに地球環境史ミュージアム館長

イネについて遺伝や歴史など、多角的な視点で研究を重ね、『米の日本史─稲作伝来、軍事物資から和食文化まで』(中公新書)、『稲の日本史』(角川ソフィア文庫)等、多数の著書がある。研究では全国を飛び回り、生産者へのインタビューや政府への提言など幅広く活動。各地の米を食べ比べてきたが、日頃は米食だけにこだわらず、パンなどさまざまなものを好んでいる。

ソラミドごはんくん

ごはんが大好き!
ちょっぴりヒツジに似たごはんの妖精。好奇心旺盛で、ごはんのことなら何でも知りたい!聞きたい!見てみたい!と思っている。

明治期には4000種もあった!? 長年のスターはコシヒカリ

ごはんくん

米づくりの歴史に続いて、お米そのものについてももっと教えてください。最近はいろんな名前のお米がどんどん出てきて、種類が増えましたよね。

佐藤先生

いやいや、昔から多いんですよ。実は明治時代の初期に農務省が日本中の米を集めて調べたことがあるんです。名前があるもの、ないものも含め各地から集めると、なんとその数は驚きの4000種類。中には同じものもあったので整理したんだけど、それでも600〜700くらいありました。
その後、明治末期に組織的な品種改良が始まって、いい品種を選んで全国のあちこちに配っていったんですよ。そうして改良が進んで1929年に登録されたのが、味がよく、収量も多い水稲農林1号(農林◯号は国の農作物の登録品種につけられる番号)です。そこからまた種類がどんどん増えて、今は400号を越えている。それ以外にも各都道府県でも新しい品種を作っているから、もっとたくさんある状態です。

ごはんくん

今でもそんなにあったとは…。新しいものもできる一方で、栽培されなくなったものもあったり、時代によって変わっているんですか?

佐藤先生

よりよいものができれば、そちらに移っていきますね。そして、日本で圧倒的にたくさん作られているのはコシヒカリです。新潟県の南魚沼が有名だけど、実は福井県でできたお米なんだ(1956年に農林100号として登録)。そして今流通している日本のお米は、品種改良のどこかでコシヒカリと交配されているので、ほとんどすべての品種がコシヒカリの遺伝子を持っている。つまり、コシヒカリの子どもといっていい状態なんです。コシヒカリはおいしいよね。その遺伝子が入っているから、昔に比べると味のばらつきがなく、どれを食べてもおいしい、というのが今のお米なんだ。

ごはんくん

ええっ、そうだったんですか。コシヒカリってすごいんですね!

佐藤先生

ただ、品種って寿命があるんですよ。コシヒカリは1956年にできてからもう半世紀以上経って、寿命が尽きています。言い方を変えると、性格が変わってきてるという状態かな。それは仕方がないことだけど、コシヒカリといえど、これからはどうなっていくかわからない。でも全国的に流行するような品種はそう簡単に生まれないので、コシヒカリがお米のリーダー的存在なのはしばらく変わらないでしょう。

ごはんくん

でもお米って同じ銘柄でも、おいしく感じるものとそうでないときがある気がするんです。それはどんなことが考えられますか?

佐藤先生

同じ品種でもぜんぜん違ったりしますね。ものによってできばえも質も違うだろうし、値段もいろいろですよね。できればその土地にあった品種を育てている、信頼できる生産者さんから買うのがおいしいお米に出会える一番いい方法じゃないかな。

東西で大きさの違う米や長粒種、酒米等々、多様だった昔のお米

ごはんくん

昔はもっと違う味のお米があったり、いろんなお米を食べていたりしたんですか?

佐藤先生

個性という意味では今よりあったのは確か。今も違うものは違うけれど、昔はもっとパサパサしていたり、さっぱりしていたり、食べると違いがあったね。粒の大きさも東日本は小粒、西日本は大粒だったり。大きさは1割くらい違っていて、大粒でしっかり炊きあがるのが西日本のお米、東日本は小粒でふんわりしている、といった違いがあります。
それに、日本でも室町時代にはアジアで食べられているような長粒種が流行って、西日本は水田の1/3くらいが長粒種だった時代もあったんですよ。香り米も明治の調査ではたくさん出てきていますよ。

ごはんくん

へぇー!粒の大きさが違ったり、長粒種が流行ったりいろいろですね。長粒種はなぜ人気だったんですか?

佐藤先生

長粒種は日本の水稲よりも炊くときに水をたくさん入れるんです。そうすると水分が多い分、量が増えますよね。つまり、お腹いっぱい食べられる。だから人気でした(笑)。でもパサパサして日本人の舌に合わないのは確かで、年貢としては認められなかった。でも年貢にならないからこそ、自分で食べるために作っていた人もいたでしょうね。そうしているうちに次第に作ることも禁止されたりして、廃れてしまいました。

ごはんくん

支配層としては、やっぱり年貢はたくさん集めたいですもんね…。他に歴史の中で特別なお米はありますか?日本酒もお米から作りますよね?

佐藤先生

酒造りに特化した品種は歴史が浅く、最初は普通のお米でお酒を作っていました。酒米として作るようになったのは20世紀に入ってから。西日本のお米は大粒だっていいましたよね。酒米は雑味を取り除くために米粒をしっかり磨くから、大粒の方が効率も良く、そうした品種が次第に酒用として作られていったんですよ。この頃はお伊勢参りなど、人が全国各地を移動していた時代。行った先で珍しいお米を持ち帰って地元で作るようになり、いろんなお米が全国に広がった時代でもありますね。

ちゃんとお米を食べることが、日本の未来につながっていく

ごはんくん

日本人はそうやってお米を作って、おいしく改良して、たくさんごはんを食べるようになっていったんですね。こんなにたくさんお米を食べているのは日本くらいですか?

佐藤先生

うーん、それが、そうでもないんです。FAO(国際連合食糧農業機関)の統計データでは、日本は国民一人当たりの消費量は世界平均より少ないんだよ。でも例えばバングラデシュだと1人が年間200キロ食べている。すごいでしょ? 日本人は米食民族と思っているけど、意外とそうでもない。それに日本ではソバや小麦のうどんは食べるけど、米を粉にして食べる文化があまり発展しなかった。技術的にも難しくて、米粉の流行は最近ですね。

ごはんくん

200キロはすごいです!米粉は日本だとお菓子やパンに使っている印象です。でも最近の日本人は食べるお米の量が減っていますよね。糖質が悪いようにいわれて敬遠する人もいます。でもお米も栄養はありますよね。

佐藤先生

タンパク質の観点から見ると、小麦って高タンパクだけど、一部のアミノ酸はできないんです。一方でお米はアミノ酸バランスが小麦よりいい、栄養価の高い完全食です。だからお米を食べることでタンパク質を取ることができるのでいい食材ですよ。

ごはんくん

お米にはいいところがいっぱいあるのに、食べるごはんの量が減っていたり、お米を作らなくなってきています。そうするとどんな問題が起こると考えられますか?

佐藤先生

このまま作る人が減っていくと、お米づくりの技術が失われてしまうのが問題です。国土も荒れてしまうので、ちゃんとお米を作って、野菜を作って、食べることにエネルギーを費やすべきだと思います。
それに、ウクライナにロシアが侵攻したとき、小麦の値段がすごく上がりました。こうした食料の安全保障問題もあるし、円安で今後は海外から何でも買ってくることは簡単じゃないでしょう。僕は最終的にはお米に戻ってくるんじゃないかと思うんですよね。

ごはんくん

佐藤先生は米づくりがどんな形になっていくのが理想的だと思いますか?

佐藤先生

政治や経済の問題も多々あるけど、やはり日本の農地をちゃんと使うことを考えたいですね。日本の国土は作物を作り、土地からのミネラルが川から海に流れ込み、それが栄養分となって魚を育て…といった循環をしてきました。でも今は清潔になり、栄養分がない海では魚も不漁になってきています。農業を減らすということはそういうことなんです。だからやはりちゃんと農地を使って、お米を食べて、魚を食べてというように回していかないと、国土が駄目になってしまう。
小さい単位でいいから、生産者が消費者の顔を知っているというような単位で、自分たちの食べ物は自分たちでなんとかするシステムがこの先は必要なんじゃないかな。自分たちの場所に育つものを食べていく、ということを大事にしていくことが、この先の日本にとってとても大事なことだと思っています。

ごはんくん

簡単ではないけど、まずはおいしいお米をしっかり食べることが僕にできることかなあ。そしてみんなにおいしいと思ってもらえるお米を届けられるよう、お手伝いをこれからもしていきたいと思います。
佐藤先生、どうもありがとうございました。