バレーボールで培った「挑戦し続ける」自然体を、お米作りに活かす。『株式会社農好社』生産者・中垣内祐一さん

「おいしくて質の高いお米を作って喜んでいただく。農業を長く続けるには、そんなものづくりの要となる心が大切」

そう語るのは、日本男子バレーボール界のレジェンド、中垣内祐一さん。現在、故郷の福井でお米ブランド「日(NICHI)」を立ち上げ、安心安全で、なおかつ個性が際立つ特別栽培米作りに情熱を注いでいます。

見渡す限りの水田が広がる、肥沃な福井平野。「株式会社農好社」は、江戸時代からこの地でお米作りを続ける農家です。現在、代表を務めるのは、かつて日本の男子バレーボール界を牽引し、さらに、男子バレーボール日本代表の監督として2021年東京オリンピックで指揮をとった中垣内祐一さん。

「バランスの良さよりも、個性が際立ち、人の好みにピンポイントで刺さるようなお米を作りたい」

その思いで立ち上げた、お米ブランド「日(NICHI)」では、ソラミドごはんでも取り扱い中の「ふくむすめ」、「ピカツンタ」を含めた6種類の特別栽培米を作っています。

ユニフォーム姿から一転、農作業着に身を包む中垣内さんに、農業に賭ける思いや目標とするお米作りについて伺いました。

若い頃から決めていた帰郷。農業を引き継ぐことは、半ば宿命のようなもの

額に浮かぶ汗をタオルで拭きながら、「さっきまで田んぼで草取りをしてたんです」と話すのは、2021年の東京オリンピックで男子バレーボール日本代表の監督を務めた中垣内祐一さん。現在はその姿から一転、生まれ故郷である福井県で「株式会社農好社」の代表として農業に取り組んでいます。

「漠然とですが、若い頃から、50歳になったら福井に戻って故郷で生きていきたいと考えていたので、この状況はほぼ思い描いていたとおりですね。就農したのは、実家が農家だったから。あまり、というか、まったく悩むこともなく米作りに関わるようになりました」

江戸時代から続く農家の長男として生まれた中垣内さんは、家業を継ぐ父親・一夫さんの姿を見ながら育ち、すでに小学生の頃には本格的な農耕機での手伝いもしていたとか。大学進学を機に故郷を離れるまで、常に農業は生活の一部だったそうです。

大学卒業後は、周知のとおり、日本男子バレーボール界のエースとして代表チームを牽引。さらに日本代表のコーチ、監督を歴任し、東京オリンピックでは7位という好成績にチームを導きます。

その後、監督を退任。30年以上在籍していた会社も退職し、帰郷の道を選びます。

「もちろん周囲からは、『辞めるのはもったいない』、『なんでこのタイミングで?』と言われましたが、私の中では以前から決めていたことでしたし、迷うことはなかったですね。半ば、宿命のようなものですよ」

3足の草鞋を履きつつ、お米ブランド「日」でこだわる安心安全なお米作り

とはいえ、中垣内さんの日々は農業一色ではありません。帰郷してすぐに就任した福井工業大学の教授、それに加え、各地から声が掛かるバレーボール関連の仕事もこなします。

「メインの仕事は大学の教員なんです。平日は授業や他の業務もありますので、それらの隙間を縫って農業をしている感じですね。言ってみれば3足の草鞋を履いているようなもの。かなり忙しい毎日です」

実際、農好社での作業は、1年中休む間もなく続きます。

2月から、田植えに備え33ヘクタールの広大な農地を1ヶ月以上かけ耕作。4月初旬からは苗作りに取り掛かり、その月の終わりには田植えが始まります。5月いっぱいまで田植えを行った後、除草、追肥などを繰り返し、いよいよお盆頃からは稲刈り。10月末に稲刈りを終えると、翌年のお米作りにつながる秋起こしを行い、年明けの1月までは土づくりと続きます。

「農好社の社員は4人ですが、そのうち1人は80歳を超えた父、もう1人は精米と出荷を担当していますので、実質1.5人くらいで米作りをしているようなものです」

その厳しい状況でも手を抜かずにこだわるのは、有機肥料のみを使用し、可能な限り農薬にも頼らないお米作り。安心安全なお米を食べてもらいたいと、特別栽培米作りに力を注ぎます。そして、自らお米ブランド「日(NICHI)」立ち上げ、ソラミドごはんでも取り扱い中の「ふくむすめ」、「ピカツンタ」を含めた6種類のお米を提供しています。

「『日』の名前にはいろんな意味を込めています。まずは、バレーボールの日本代表として日の丸を背負い戦った日々への想い。それから米作りに欠かせないお日様の意味。古来より日本人の食を支え、国の経済の基盤でもあったお米への敬意も表しています。

ただ、少ない人数での米作りなので、できることにも限界はあります。とにかく今は、この農地で私たちにできる精一杯のことをやるだけ。皆さんに喜んでいただけるお米を愚直に作り続けていこうと必死です」

お客様の喜ぶ顔を思い浮かべ励むお米作りは、農好社にとっての挑戦

そもそも福井県はコシヒカリ発祥の地でもあり、国内有数のお米の生産地。九頭竜川をはじめ、いくつもの河川によってもたらされた粘土質の肥沃な土壌で形成された福井平野には、見渡す限りの水田が広がります。また、国、県、市町が共同で整備した、九頭竜川より地中を通って田畑に引き込まれたパイプラインからは、年間を通して豊富な水が注ぎます。

「安心して米作りができるのは、農業発展のために心血を注いだ先人たちのおかげです」と、中垣内さんは話します。
「それから、お客様からいただく『おいしい。また食べたい』という声もありがたいですね。私たちへの気遣いもあるでしょうから言葉半分には聞いていますが、正直嬉しいですし、励みになっています」

そう笑う一方で、農家を取り巻く現状に危機感を感じることもあると言います。

「国が行った減反政策の影響はいまだに続いていて、減反を避けるために、価格の低い加工米や飼料米の栽培に切り替える農家は増え続けています。それらの農家には国から補助金が支給されますが、中には補助金を当てにする農家も出てきてしまいました。

そうなると当然、良質で満足してもらえるお米を作る、というものづくりの本質は置き去りにされてしまいます。本来、経営を支援するための補助金ですが、それに依存する農家にとっては、延命措置の手段になってしまいました。

おいしくて質の高いお米を作って喜んでいただく。農業を長く続けるには、シンプルですが、そんなものづくりの要となる心をまず持つべきだ、と私は思うんです」

作り手の真摯な姿勢や想いが、おいしさに表れているようなお米作り。自らが理想とする農業に熱心に取り組む農家と、そこから距離を置いてしまった農家、それぞれに思いを馳せながら、中垣内さんは続けます。

「そうは言っても、この状況を変えるのは難しいとも思うんです。お米の価格がなかなか上がらない中で、どうにか農業を続けようと頑張っているのも事実ですし、農家によって経営に対する考え方が違うのも当然です」

それでも農好社が補助金に頼ることなく、限られた人数でこだわりの農業を続ける理由はどこにあるのでしょうか?

「正直、私にもわかりません。ただ、心のどこかで『これもきっと挑戦なんだ』と思っているのかもしれませんね。何十年もバレーボールに関わってきた中で、自ら目標を掲げ、それに対しいろんな策を打ってひとつずつクリアしていくという挑戦を繰り返してきましたから。

ものづくりに関わるからには、お客様が喜ぶ顔を思い浮かべながらおいしいお米を作りたい。それが農好社にとっての挑戦なんだと思います」

作りたいのは、「武器」と呼べる個性を持つお米

福井の故郷に戻り、腰を据えて農業に取り組み3年。農家として経営の難しさを痛感しながらも、安心安全でおいしいお米を届けたいと、有機肥料のみを使用し、できるだけ農薬に頼らないこだわりの農業に向き合ってきた中垣内さんに、バレーボールと農業の共通点について伺ってみました。

「共通点?難しいですね。あえて言うなら、お米も人も、育てるには根気が必要なことですかね。一朝一夕には結果は出ません。

ただ考えてみれば、私にとって現状を打破していくことこそが自然体。向上心を持って、背伸びをして、1㎝でも高く飛べるように、1kgでも強くボールを打てるようになるには、妥協せずに挑戦し続けるしかないんです。

バレーボールで培った私の自然体は、農業にも活かされていると言えますね」

その上で農好社が理想とするのは、バランスの良さよりも、「武器」と呼べる突出した特徴を持つお米作りです。

「極端であればあるほど、とんがっていればいるほどいい。人の好みにピンポイントで刺さるようなお米を作りたいんです。それを口にして、『このお米が好き』と言ってくれるコアなファンが増えれば言うことはありません」

何十年もの間、日本のバレーボール界を牽引してきた中垣内さんだからこそ、果敢に挑戦することで得られる結果の価値を、充分過ぎるほど理解しているのだと感じます。併せて、目標を見定め、向上心を持って努力し続けることがどれほど難しいかも理解しているはずです。

農好社が追い求めるのは、決して平均ではなく、個性的で頭一つ抜きん出た強みを持つお米。コートで輝くエースのように、人々を魅了するお米に違いありません。

中垣内さん率いる農好社の挑戦は、これからも続きます。

取材/執筆: 福島和加子
写真: 農好社 提供