食べたら自然と笑顔になる、そんなおいしいお米をめざして
『生田米店』生産者・生田敦士さん
九州熊本県の相良村(さがらむら)。県南部の山間部に位置する「人吉球磨(ひとよしくま)」と呼ばれるこの一帯は、700年に渡り古い文化と新しい文化が融合する里山として、作家、司馬遼太郎に「日本でもっとも豊かな隠れ里」と表現されています。
相良村の中心部に流れる「川辺川」は、何年にも渡って水質日本一にも認定されるほどの清流。澄んだ水にしか育たないと言われるアユやヤマメなどの釣り場としても有名です。
ミネラルと酸素が豊富な水。そして盆地という地形がもたらす寒暖差にも恵まれ、この地域では昔から稲作が盛んに行われてきました。
「おいしい米を食べると、自然に笑顔になるじゃないですか。そんな米をつくり続けていきたいですね」
そう笑顔で語るのは、『生田米店』の代表、生田敦士さん。長い歴史の中で受け継がれてきたお米づくりを守り、相良村でお米農家を営みながら精米や販売も行うお米屋さんです。
小規模ながらも、代々受け継いできた「循環型農業」で育てているのは、九州を代表する『特別栽培米ひのひかり』、熊本県のオリジナル米『特別栽培米森のくまさん』、そして『特別栽培米にこまる』。現在、ソラミドごはんでもお取り扱い中のお米です。
牛を飼い、お米を育てる。幼い頃からの原風景をそのままに、豊かな自然の恩恵に感謝しながら続けるお米づくりへの想いとこだわりをお伺いしました。
悩み抜いて出した答えは「手間暇かけた高品質なお米づくり」
「今は『生田米店』ですが、以前は『生田精米所』という屋号でした。その頃はコイン精米所もありませんでしたので、店で精米するというのが一般的だったんです。それが家業の中心でした」
生田さんは4代目。先代の頃から、農家としてはそれほど大きくない規模でお米をつくりながら、精米業を主にしていたと言います。その後、精米の需要が減り販売が柱に。時代とともに変化していくお米との関わりを見てきた生田さんですが、自らが担うようになったのはいつ頃からなのでしょうか。
「高校も大学も農業を専攻していましたが、そこで学んだのは、実は米ではなく『花』についてでした。特に力を入れていたのが、日本原産の『スカシユリ』です。大学を卒業してからもしばらくは、自宅でユリを栽培していました」
幼い頃より花が好きだったという生田さん。長男として育ちましたが、当然の流れのように家業を継ぐことには戸惑いがあったようです。
「学校を卒業して、そのまま家を手伝うことに躊躇していた時期もありました。ですが、次第に高齢になっていく両親の姿を見ていましたので、30歳を過ぎた頃、米づくりに本腰を入れようと思ったんです」
花栽培に一旦区切りを付け就農を決心した理由には、家族の事情の他、米業界に対する危惧もあったと言います。
「野菜や果物も含め、お米は農産物の中で作付面積当たりの収入が一番低い作物なんです。いくら肥料に費用をかけても、それに見合った価格が付かないことも多い。そうなると、作り手の心理からすれば、『質にこだわらなくても』、『そこまで手を掛けなくても』となってしまいますよね。でも、このままでいいのかという想いもありました」
どうやれば、狭い面積でもある程度の収入を得ることができるのか。思案の末、辿り着いたのが、とことんまで手間を惜しまず、高価格でもおいしさで選ばれる良質なお米づくりでした。
「安さで勝負しようと思ったら、どうしたって量販店には敵わないんです。ですがうちは米屋としての基盤があるので、直接お客様に説明しながら販売できる。だったら多少コストを掛けてでも良いお米をつくったほうがいいんじゃないかと考えました」
納得する「品質」を目指して、ゼロからの挑戦がはじまる
そこから、生田さんのゼロからの挑戦が始まりました。米農家の置かれている厳しい状況を分かった上で、あえて品質にこだわったお米をつくりたい。そう決意したものの、それまで本格的に学んだことがなかった生田さんにとって実現させるのは容易ではありませんでした。
「両親が行っていたのは、いわゆる一般的な作付けです。でも、私がつくろうとしていたのは、付加価値の高いこだわりの米。アドバイスをくれる人がいたわけでもなく、初めのうちは手探り状態でした」
独学で、あらゆる文献や資料を読むことで、来る日もくる日も情報や知識の収集に明け暮れたそうです。
「たしかに猛勉強はしましたが、あくまで机上の空論でしかありません。どんな肥料を与えたら、どんな育て方をすれば、理想とするお米に仕上がるのか。それは自分の手で実際に収穫してみないことにはわからない。学びと実践を繰り返しながら、少しずつ感覚を掴んでいきました」
今年はどうだろうか?うまくいっただろうか────
実りの季節を迎えるのは、一年で一度きり。毎年が不安と期待の連続だったと言います。
そんな中、徐々に生田さんのお米が高い評価を受けるように。お米の成分を数値化し、具体的な改善策を見出せるようになった頃のことでした。
「米の評価を確かめるために、国内外問わず品質を競うコンクールに出品し続けたんです。もちろん最初の数年は全くダメでしたが、その際に『食味』を成分数値として鑑定していただいたんです。『食味』とはお米のおいしさにつながる艶や粘り、固さ、甘味、香りなどのこと。それらを生み出す成分であるデンプンやタンパク質、無機成分、脂質、ビタミンなどの数値を元に、毎年肥料を見直していきました」
納得する「品質」に辿り着くまで、何度も何度もトライアンドエラーを繰り返した生田さん。
「独学で得た情報や知識をもとに、実践を重ね、目標に向かって着実に歩みを進めたことで理想としていたお米に近づくことができました」
牛を飼い、米を育てる。昔ながらの循環型農法にこだわり抜く
さらにお話を伺うと、生田さんのつくるお米には、他にもたくさんのこだわりが込められていました。
「肥料もそうですが、それ以上に大切にしているのは『循環型』と言われる農業です。
牛を飼い、米を育てる。牛の堆肥を土に漉き込み、育った稲の藁やもみ殻などを牛の餌や寝床として利用する。それを繰り返して米を育てていくこの農法は、一番自然でムダがないと思います」
牛が田んぼを耕す光景────。
今では見ることもなくなりましたが、生田さんが幼い頃には、この辺りにもまだ残っていたそうです。もちろん、現在ではトラクターを利用していますが、稲作のために牛を飼うという慣習は変わらずに受け継がれています。自然のサイクルの中で営む、理に適ったお米づくりは、生田さんの原風景であり、おいしいお米の栽培には欠かせません。
「堆肥を土に混ぜ、丁寧に土づくりを行うことによって、米の味がぐっと良くなるんです。言ってみれば、間違いない味というか。それから、出穂の時期に実が充分に育たない『秋落ち』という現象も防いでくれます。土が有機質を多く含み肥えているため、色付きの良いしっかりした米が育つんです」
相良村という土地の恩恵である水と気候。そこに、牛と共に行う循環型の農法が加わることで育まれるお米。試行錯誤を繰り返し、ようやく納得のいくお米が実るようになったそうですが、新たな問題として、買い手を見つける難しさも痛感したそうです。
「米屋を営んでいるからといって、良い米をつくっても、買い手が見つからないこともありました。肥料を厳選して経費を費やしても、売れなければ元も子もありません。両親からはこのまま続けても、と心配されましたが、インターネットでお客様へ直接販売を始めたことで、次第においしいと言ってくださる方が増え、固定客も付くようになりました」
できることは、全てやる覚悟。自然を前に無力さを感じながらも
さらに、できるだけ安心しておいしいお米を届けたいとの想いから、生田さんが辿り着いたのは特別栽培米の生産です。
県によって定められた慣行栽培の基準に基づき、化学肥料と農薬の使用回数を50%以下に減らして育成する特別栽培米は、より安心安全なお米ですが、同時に草の管理や病気への対策も必要。お米づくりへの揺るぎない覚悟がなければ実現できません。
「本来なら完全無農薬に取り組んでみたいとも思うんです。ですが、ここ相良村では農薬を使用する農家さんが大半。うちの田んぼを無農薬にしても、どうしても周囲で散布された農薬の影響を受けてしまいます。ですので、今は特別栽培が精一杯の選択ですね」
その中で、できることは全てやる。それゆえ、防虫効果や殺菌効果のある木酢や、ミネラル成分が稲の生育を旺盛にするにがりなどの散布にも手を抜きません。
お米の一粒一粒までおいしく食べてほしいという想いが、日々の努力の積み重ねに繋がっています。
「自然の力を前に、無力さを感じることもあるんですよ。ここ数年の気候変動によって、球磨川や川辺川が氾濫することも珍しくありませんし、うちの田んぼも含めて、この地域で被害に遭った農家はたくさんあります。豊かな水は恵みでもありますが、時には大きな災害をもたらすことも。日々の管理にも目を配らないといけません。それでもやっぱり、おいしいお米をつくりたいんですよね。だから春の田植えから秋の収穫まで、一年にたった一度の勝負のために、できる限りの努力は惜しまないつもりです」
取材/執筆:福島和加子
編集:貝津美里
写真:生田米店提供