ツルに選ばれたこの土地で、ただただ自然においしいお米を。
『株式会社 鶴秀』生産者・時吉涼子さん

毎年、1万羽以上のツルが越冬のためシベリアから渡来する鹿児島県北西部の出水市。ナベヅルやマナヅルの群れが水田で羽を休める姿は、この地ならではの冬の風景です。

自然に配慮し、ツルと人とが共存できる環境を整えることは、自ずと安心安全なお米作りにつながる。その一心で、明治時代から8代にわたり農業を継承しているのは時吉涼子さんご一家。現在、「鶴秀」の名で農業法人を営み、東京ドーム5つ分に及ぶ水田で早期米や普通米など9種類のお米を栽培しています。

中でも、お米ソムリエの資格を持つ涼子さんがおすすめするのが、ソラミドごはんでもお取り扱い中の『特別栽培米 鶴秀米なつほのか』と『特別栽培米 鶴秀米ヒノヒカリ』。「ツルに選ばれた土地」で受け継ぐ農業への想いや、栽培のこだわりについてお伺いしました。

お米作りを決意し、家族で戻ったふるさとのまち

「私はお米が大好きなんです」

満面の笑みでそう話すのは時吉涼子さん。現在、生まれ故郷である出水市に暮らし、家業である農家の8代目を承継した夫、貴洋さんとともに、お米作りに励んでいます。三姉妹の次女として育った涼子さんは、姉妹の中でも1番のお米好き。幼い頃よりご飯を食べている時が、なによりも幸せな時間だったと言います。しかし、家業を継ごうとは思っていなかったのだそう。

「学生の頃から福祉に興味がありましたので、高校では介護を学び、介護福祉士として大阪で就職しました。夫と出会ったのもそこでした」

その後結婚し、貴洋さんの郷里である岡山に移住。子どもにも恵まれ、このまま岡山の地で過ごすものと思っていたとき、貴洋さんから思いがけない相談を持ちかけられます。

「その頃、夫はサラリーマンだったんですが、これから先、家族で安心して生活していくには、今の仕事ではなく農業をした方がいいんじゃないかと言われたんです。夫の口から農業という言葉が出たことに驚きましたし、子育てがひと段落したら介護の仕事に戻ろうかと思っていたので正直悩みました。ただ、故郷で農業を続ける両親のことを思うと、ありがたいなとも思ったんです。私としては、流れに身を任せた、というのが本音ですね」

三姉妹ということもあり、いずれは自分たちの代限りで農業を辞める、もしくは家族以外の誰かの手に田んぼを委ねることを考えていたご両親。九州男児である父親の秀次さんは、涼子さん夫妻の決意を聞き、口には出さなかったものの安堵の表情を浮かべていたそうです。

経験を重ね辿り着いた「ただただ自然においしいお米を食べてほしい」という想い

そして2011年、出水市に移り、ご両親のもとで農業を始めた涼子さんご夫妻。幼い頃よりお米作りを間近で見てきた涼子さんですら、初めの頃はなれない作業にご苦労もあったとか。「見て覚える」という職人気質の父、秀次さんの姿を真似ながら、経験を重ねる毎日を過ごします。

「夫の方が大変そうでしたね。お米作りが、というより言葉の問題。周囲には年配の方も多いので、アドバイスをくださっても何を言っているのかわからない。その度に、見かねた父がフォローに入ってくれていたみたいです」

子どもを育てるため、家族を支えるためにひたすらお米作りに励んだお二人。そこにはこの地に移り住み、稲作を始めた先祖への畏敬の想いもあったそうです。

「代々受け継がれてきた農業を次の世代にもつないでいかなければ、という想いは、私たちはもちろん、両親も強く感じていたはずです」

涼子さんは当時を振り返りながら、こんなエピソードも話します。

「お米作りに関わるようになってからわかったことなんですが、どうも両親は私に継いでほしいと思っていたようなんです。というのも、若い頃、運転免許を取る際に『軽トラも運転できるよ』という父のアドバイスもあって私はミッションの免許を取得したんですが、実は姉と妹はオートマ限定の免許を取っていたんです。

それを知った時は、『あらっ、仕組まれていたんだな』って笑いましたね。気付かないうちに、父の敷いたレールに乗っていたようです。もちろん、おかげで農作業の役に立っていますが……」

まったくの初心者だった貴洋さんは自ら進んでお米作りの勉強会へ参加。暇さえあれば資料や文献などを読み込み、貪欲に知識を習得する日々だったそうです。

そこでたどり着いたのが「ただただ自然においしいお米を食べてほしい」という想い。先祖から受け継ぐこの水田で、安心安全でおいしいお米を愚直に作り続けていくことを大切にしています。

お米作りへ情熱を注ぎ、さらにツルと共存する環境にも配慮する

鶴秀のお米作りのこだわりは3つ。「土壌管理」、「計画栽培と減農薬への取り組み」、そして「多品種栽培への取り組み」です。

「おいしいお米を作るには、まず土作りが大切です。これまで代々培ってきた経験値はもちろんですが、それに加え、毎年、成分検査も行っています。窒素やリン、カリウムなどお米の生育に欠かせない成分の値を確認し、堆肥などのすき込みバランスを整え、その上で、計画的に栽培する品種を決めているんです」

安心安全なお米作りのために、父、秀次さんの頃から農薬をできるだけ使わないことにも力を入れています。その結果、鹿児島県の慣行農業に使用される農薬や化学肥料の量を半分以下に減らした特別栽培米にも積極的に取り組むように。

また、出水市で盛んな畜産農家と協力し牛糞を堆肥として利用することで、この土地に根差した循環型の農業も実現しています。

お二人がお米作りを継承したことで、今の時代にあったお米作りにも幅を広げ、現在では飼料米や加工米も含め9種類のお米を栽培。それに伴い、農地も徐々に広がっています。

「この地域にある他の農業法人とともに、後継者がいない農家さんから耕作地を引き継いでいます。農業の代行も行っていますので、他の地域と比べ、耕作放棄地の問題は少ないと思います」

江戸時代より干拓地を整備し、地道に水田を作ってきた先祖たち。その水田を守り、さらにツルとの共存のため自然の営みを守りながらお米作りを長く続けていくこと。それが自分たちの役割だとも涼子さんは話します。

「出水市の水田には何十年も前から、冬になると1万羽を越えるツルが渡って来るんです。ツルがこの土地を選んだということは、ここが安心して過ごせる自然豊かな場所だということ。それに、ツルと人とが共存できる環境を守ることは、安心安全なお米作りにもつながります。この光景が続くように、私たちは自然に配慮し、環境を守っていく責任があると思っています」

信頼される農家であるために、嘘偽りのないおいしいお米を作りたい

「でも、続けていく難しさを感じることもあるんですよ。特に、上がり続ける肥料の価格には頭を悩ませています。国は有機農業を推奨していますが、完全に移行するということは草の管理など大変さも増します。

今は特別栽培米を育て、その割合を少しずつ増やしていくことが精一杯。もちろん、台風などの影響で収穫量が減る年もあって、自然の脅威を前に人間の無力さを感じることもあります」

それでもなお、涼子さんご一家がお米作りに情熱を注ぎ続ける理由はどこにあるのでしょうか。

「先祖から守ってきたこの水田を絶やすわけにはいきません。それに、これから先の経営を考え、乾燥、籾摺り、選別作業場であるライスセンターを立ち上げた父の意思も大事にしたいですしね。

「低い価格で買い取られるお米だけを作っていたのでは生計が成り立たない。栽培から販売まで一貫して行うことで経費を抑え、収入を上げていく」。その思いで、父、秀次さんが整えたライスセンターでは、鶴秀だけでなく周辺農家の籾摺り、乾燥作業も請け負っています。「この土地全体の農業を支えていきたい」。秀次さんの決意は、確実に涼子さんご夫妻にも受け継がれています。

「おいしいお米を食べていただきたいんです。お米ソムリエの資格を取ったのも、鶴秀のお米や、ここ出水市で栽培されたお米のおいしさを皆さんに知ってほしいと思ったからです」

2023年からはその資格を活かし、「ツル観光センター」敷地内にある建物を間借りして、おにぎりカフェをオープンさせた涼子さん。手に取ったおにぎりは、目の前の田んぼで育ったお米から作られている。そう知ったお客様は、一様に感慨深い表情を浮かべるとか。

他にも、米粉マイスターや発酵食品ソムリエの資格も取得した涼子さんの心には、さまざまな手段でこの土地のお米をアピールしたいという願いがあります。

「信頼される農家でありたい。嘘偽りなく、ただただおいしいお米を作りたい。それだけなんですよ」

3人のお子さんたちは食べ盛りを迎えているそうです。炊き立てのご飯をおいしそうに頬張る姿を見るたび、「お米農家で良かった。私たちの決断は間違ってなかった」と感じるとか。

おいしいお米は人を幸せにする。涼子さんの笑顔を見ているとそう実感します。代々受け継がれてきた水田を守り、真摯にお米作りと向き合うご家族の姿がここにあります。

取材/執筆:福島和加子
編集:佐藤純平
写真:株式会社 鶴秀